写真はノヴォシビルスクの鉄道技術博物館にて展示されていたЕа-3078(Yea-3078)です。
このЕа(Yea)-3078は昭和19(1944)年に製造されました。なんとアメリカ合衆国製造。
なんでアメリカで製造された蒸気機関車がロシアにあるのかと詳しく調べてみたら・・・
第二次世界大戦中アメリカ合衆国は、連合国であるソビエト連邦を支援するためレンドリース法(武器貸与法)を制定し、
その援助物資としてЕа(Yea)形蒸気機関車が輸入されたとのこと。
冷戦時代から見れば考えられない話です。
このЕа形はアメリカで設計された機関車ではなく、ロシアの機関車Е(Ye)形を基本にいくつかの設計変更を加えた上で製造されました。
従ってアメリカ製造というものの、車両の全体的な見た目はアメリカ製のSLとは異なります。
米国製造であることを区別するため、形式にはアメリカを意味するаが追加されています。
博物館の説明では2047両がアメリカより輸入とあります。
ただし、別資料では戦後輸入が途中で(唐突に)止められたので、実際にはそこまで輸入されておらず、米ソ間で車両数が食い違っているとのこと。
第二次世界大戦が終了し、しかも冷戦が始まったとなれば支援する必要もないというわけでしょう。
輸入が止められた後、製造途中だったЕа形は線路軌間がソ連と同じ1524mmであり、なおかつ自由主義国であるフィンランドが20両購入しました。
そして、当時の米国大統領トルーマンの名前からとったTr2として活躍しました。
フィンランド側の資料によると購入したのはいいが、使い勝手が異なり車軸負荷が重く不経済であったことから活躍期間は短く昭和44(1969)で運行を終了したとのこと。
このことからソ連製のЕа形機関車の性能が国際的にどれくらいの水準だったのかを推し量ることが出来ます・・・
しかもマーシャル・プランといった援助は受けられず、本当に「買った」ようなのであまり得ではなかったみたいです。
フィンランド鉄道博物館のTr2
ちなみに、第一次世界大戦中にもロシア設計・アメリカ製造のSLが生産されましたが、ロシア革命の勃発により納入が出来ず、ゲージ改築の上アメリカで走行したSLが存在します。
車軸は1-5-0(2-10-0)、最高速度は時速70キロ、馬力は2000馬力。
アメリカでは、車軸が2-10-0でロシア設計・アメリカ製造のSLを親しみを込めてロシアンデカポッド「Russian Decapods」というようです。
このЕа-3078は極東地方で活躍していたとのことなので、もしかしたらシベリア抑留の日本兵捕虜を運んだこともあったかもしれません。
撮影日:平成23(2011)/9/29
投稿日:平成25(2013)/8/30